Tears In Heaven  Eric Clapton

Would you know my name if I saw you in heaven?

お父さんも天国に来たよ 誰だかわかってもらえるかな (天国にいるはずなのに涙が流れてくる)

 

Would it be the same if I saw you in heaven?

天国でも 以前のようにお父さんの子供のままでいてくれるかな

 

I must be strong and carry on

めそめそなんかしていられない 父親として強く生きなきゃって思うのです (その時が来るまでは)

 

'cause I know I don't belong here in heaven

なぜって お父さんもまだ天国の住人ではないって わかっているから

 

Would you hold my hand if I saw you in heaven?

でも お父さんが天国の住人になったら 手をとって

 

Would you help me stand if I saw you in heaven?

この老いぼれを立たせてもらえたら ありがたい

 

I'll find my way through night and day

そのときまで お父さんは眠れない夜と昼をなんとか耐えて生き抜くつもりだよ

 

'cause I know I just can't stay here in heaven

なぜって お父さんはまだ天国に居続けるわけにはいかないとわかっているから

 

Time can bring ya down

生きていれば打ちのめされる時もあるし

 

Time can bend your knees

立ち上がれないほど打ちひしがれる時もある

 

Time can break your heart

どうしようもないほど悲嘆にくれる時もある

 

Have ya beggin' please beggin' please

そんな時は 神様どうかお願いです 助けてください と祈る続けるしかありません・・・(あの日がそうでした お父さんたちはなんとか 君の命を救ってくださいと神様に祈りつづけました)

 

Beyond the door there's peace, I'm sure

あのドアの向こう側にある天国に行ければ どんなに楽かと思います

 

And I know there'll be no more tears in heaven

だって 天国ではもうこれ以上涙を流すこともないんだから (だから すぐにも天国に行って君に会いたい 抱きしめたい)


葛西りまさん、13歳の笑顔

  青森県黒石市は人口35千人ほどの小さな町。浪岡中学校は黒石市の北部、青森市と弘前市の中間点に位置する。「葛西りま」さんは、825日朝、JR奥羽線北常盤駅で列車に飛びこむまで、浪岡中学の2年生だった。享年13歳。

  黒石よされという「流し踊り」祭が815日から20日まで開催された。この祭りをテーマにした写真コンテストが企画され、応募した写真の中に「葛西りま」さんの遺影があった。カメラマンは「りまさん」と面識はなく、偶然の出会いが印象的な写真として残った。「表情の明るさ、漂う熱気、精いっぱい楽しむ姿にひかれ」てシャッターを押したのだという。コンテスト主催者側の目にもその素晴らしさが伝わったのだろう。8つ設けられた賞のうち最高の黒石市長賞が授与されることになった。1010日ごろ、遺族に連絡したところ、主催者側は被写体の自殺を知る。そこで異論が噴出した。須藤重昭・元黒石観光協会長の「写真が公になり、さまざまな臆測が出ることを懸念した」という声に押され、村上信吾・大会実行委員長(黒石商工会議所会頭)らが内定取り消しを決定、黒石市長の高樋憲も了承し、遺族に授賞撤回が伝えられた。

  主催者側から遺族に伝えられたキャンセルの理由は「(自殺した人の写真は祭りの趣旨に)相応しくない」ということだったという。「りまさん」の49日に届いた内定通知に「娘が生きた証」になると喜んだ家族は一転悲嘆にくれた。それをきっかけにマスコミ報道が過熱することになった。

 遺書が遺されている。小学校時代から「手踊り」が得意で、チームの一員として東京で開かれる全国大会への出場も決まっていたらしい。その仲間に詫び、家族に詫びている。鉄道自殺では遺体の損傷が激しい。そのこともわかっている。「綺麗な死に方すらできないけど 楽しい時もありました。」とスマホに打ち込んでいる。

 遺書には「特別虐待があったわけでもない」とあるが、報道によると、

・トイレで暴力を振るわれ

・所持品をゴミ箱に投げ入れられ

・答案用紙を黒板に貼られ

・おカネを奪われ

・うそをばら撒かれ

・万引きを強要され、拒否すると殴られ

・部屋を荒らされ

・自殺の練習をさせられ

といった「いじめ」が繰り返されていたという。

 

  このような非道な「いじめ」は浪岡中学に入学後、始まったらしい。親も学校に相談していたらしいが、当時の担任(13組)の岡本知恵教諭、24組担任の駒井陽子教諭、校長の齋藤実氏らは見て見ぬふりを続けたらしい。この校長は「葛西りまさんは死にました」と生徒らに伝えたという。人間として一片の呵責も感じられない無機質な言葉に唖然とするが、この学校では「りま」さんの死後も全校を上げて「いじめ」を繰り広げている。なんと通常通り文化祭「浪中祭」を開催し、いじめ主犯格の工O千江梨に英語スピーチをやらせたいうのだ。同級生を死に追いやった「いじめグループ」の工O千江梨/成O吏那/有O空/山O瑠花/工O青馬/千O倫太朗/山O陸人らに反省の機会を持たせる意味で、喪に服させなければならない期間である。しかも、この浪中祭の催しとして、故人が愛した「手踊り」を披露させたというではないか。

  この校長は(学校経営)理念として哲学者(教育者)森信三の言葉を掲げているが、生徒を死に追いやっていながらなんらの反省もなく、時宜も弁えず学園祭を開き、学校を生徒の魂を救えない不浄の場とし、保護者に対して無礼な態度は人倫に悖るといわなければならない。「時を守り 場を清め 礼を正す」という言葉を生徒に垂れる前に自戒すべきだろう。

  13歳といえば、物心ついてから10年も経っていない。いじめた側も、いじめられた側も世の中のごく一部分しか経験していない。

いじめっこらの中には家庭でDVを受けていた子もいるだろう。小学校時代、いじめられていた子らもいるだろう。「やらなければ、逆にやられる」という思いもあっただろう。こうした短絡的な激情を後押しするモンスター・ペアレントを持つ子らが「いじめっこ」になることが多い。モンスターが背後についていると思えば、教師たちのいじめっこ対応も及び腰とならざるをえない。子供たちは教師のビビる心を見透かしている。ましてや、臭い物には蓋がモットーの校長の下にあっては、「見て見ぬふり」をするどころか、「自殺の練習」の手助けをする教師もいたかも知れない。過去にそうした事例もあった。この学校には「悪魔の学校」というレッテルが貼られているというネット情報もある。

  この種の「いじめ自殺」は後を絶たない。多くの場合、学校ぐるみ、地域ぐるみで「いじめられっこ」を自殺に追い込み、事前に相談を受けていたにもかかわらず、学校は「いじめはなかった」ことにして野放しにするのが常である。だから、ますますエスカレートする。しかも、いじめっ子のバックについているモンスター・ペアレントたちは校長・教師と一体となって、いじめを苦にした生徒が自殺した後も、執拗に自殺した生徒やその家族に罵詈雑言を浴びせる事例が多い。利害が一致する運命共同体となるからだ。

  なぜ、こうした悲劇が繰り返されるのか。世の中にはサディストという人種がいる。いじめっこのDNA、育てられた環境、すなわち、右脳、前頭前野、扁桃体を結ぶネットワークが断線しているか、その活性が弱ければ、他人が苦しむ姿を快感に思う人種が生まれる。オキシトシンの分泌が弱く、他人を思い遣るこころも持てない。しかも、性ホルモンの分泌が高まる思春期には、心身ともにアンバランスとなる。DVを受けている子供の場合、学校でその代償行為のターゲットを探す。教師にはいじめをコントロールする能力はない。そうした生徒同士が性ホルモンに操られ暴走し出すと、そのうねりは集団を巻き込んでしまう。そこには知性は働かないから、「いじめはしないように」と言葉で言っても通じない。(浪岡中学の担任教師は、生徒たちに「いじめると自殺するかも」と言っていたとされるが、無神経にもほどがある。)子供たちには猛り狂った情動しか働かない。といって、教条主義のリーダーの下では、教師たちは「形だけの」マニュアル教育に忙しく、いじめっこたちを矯正しようとする熱意・動機などあろうはずもない。自らの教師人生が大過なくいくようにという打算しかない。(これも保護者・生徒たちに見透かされている。)いったい、今年に入って何人の中高生たちが自殺もしくはリンチ殺人の犠牲者となっただろうか。

  だいぶ昔の話になるが、わたしの子供も小学6年生の転校後間もなく、いじめに逢った。いじめはエスカレートする。エスカレートする前に対策を講じなければトラウマとなって一生苦しむことになる。そのように考え、学校を休ませることにした。学校から「いじめはやめるように指導しましたので登校させてください」と依頼があったが、無視した。重要なことは、同級生たちからどんな誘いがあっても乗らないことである。「いじめ」は必ず再燃する。いじめっこらには、いじめた快感が集団の記憶として残っている。校長と担任と面談した結果、人格・能力の観点で不信感以外懐かなかった。彼らに任せても解決するはずがない。当然、いじめっこたちと同じ中学校へ通わせるわけにはいかない。校長は無責任にもしきりに「公立」を奨めたが、「はい、はい」といって取り合わず、遠くの私立に行かせた。その後、子供は一度もいじめに逢うこともなく、勉強に部活に楽しい学園生活を送ることができた。いい私立(学校にもよるが)は父兄の評判を気にするから、いじめっこは退学させられるが、公立の教師は教育委員会を気にするだけである。

  「いじめ」は日本だけの問題ではない。世界中で起きている。教師にも止められない。だとすると、最後の砦は親しかない。いじめがエスカレートする前に地域社会と訣別させる覚悟がいるだろう。学校を離れても、いじめっこらはスマホやSNSで執拗につながりを持とうとする。転校しても、次のターゲットを見つけようとする。いじめられっこの友人がそのターゲットとなるケースが多い。そして、その子から、転校後の情報を聞き出そうとする。その輪を断ち切らなければならない。それは親にしかできない。

  現代日本では、「いじめ」、「ストーカー被害」、「DV」に対して、学校・警察・社会福祉事務所といった公的機関ではほとんど解決できない。自力救済が認められていない以上、被害者は孤独の中で恐怖に苛まれながら、ただ死を待つのみなのだ。(だからこそ、アメリカでは弱者が銃で自己防衛する必要性が銃犯罪のリスクを凌駕している。)その中で、唯一、親だけが「いじめられっこ」のsafe havenとなり得る存在なのだ。ただし、親に迷惑をかけたくないと思う、芯から心優しい子供は黙って死を選ぶことになる。

 写真の中の「りま」さんの笑顔は泣き顔にも見えてくる。今生最期の手踊りと心に決め、必死の笑顔をつくっていたのかも知れない。あなたの魂の叫びが聞こえてきました。https://www.youtube.com/watch?v=JxPj3GAYYZ0

Please rest in peace.


乳と卵−性がつなぐ未来に何があるのだろうか?

 受精卵となったとき、性染色体はXXXYのいずれかに決定される。生物学的に女もしくは男としての「生」がスタートする。女の子の場合、お母さんのお腹の中にいるとき、原始卵胞の数が700万個もあり、それがおぎゃあと生まれるときまでに100万個まで減ってくるという。その後も思春期に10万個、アラフォーで1万個という具合にどんどん減り続けていく。生理1回で1000個の原始卵胞が減少していくという計算らしい。50歳前後で閉経する。つまり、卵巣の中の卵胞が消失し、永久に月経がストップする。

 川上未映子「乳と卵」に出てくる3人の女性。姉の巻子とその娘、緑子とわたし。終始、わたしの脳が語り続ける。この小説家に新海誠が魅かれた訳がわかるような気がする。

 場末のスナックでホステスとして働くシングルマザーの巻子。声を出さず、筆談でしか返事をしない緑子。「お母さんが心配だけど、お母さんみたいになりたくない」でも、お母さんを助けたい。でも、こわい、くるしい、生まれてこやんかったら、よかったんとちやうんか・・・。

 女は卵子をつくるために生まれ、ひたすら受精を待ち、子供を産み、育てるためにお乳を出すしかないのか。太古からそういうふうに定められてきた。そんな「不条理」を受け容れられない娘の緑子は気が付くと自分も女だった、それが嫌で嫌でたまらない。40歳にして驚くほど痩せ衰え、cachexicでさえある母親は「がん」であることを暗示している。それなのに豊胸手術を受けたいという。男?いや、そうではない。「お母さん、ほんまのことゆうてや」、緑子は絞り出すような声で云う。母親は云えない。豊胸は女としての願いだが、口実に過ぎず、娘を実の父親に託しに来たのだろう。でも口には出せない。二人は泣きながら卵を自分の頭にぶつけ割り続ける。何個も何個も。周囲は割れた卵の黄身、白身、殻で惨憺たる状況。「わたし」は黙ってそれを見ている。消費期限切れ寸前の鶏卵は無精卵。貧しく、生きていくのがやっとの3人。ミトコンドリアは同じ。

 これからも、昨日までの人生を引き継いで生きていく(つもり)。でも、巻子が「がん」で亡くなったあと、緑子はどうなるのだろう。学校でのいじめはどうするのだろう。誰も助けてくれない。登校拒否。中卒で水商売に入り、お母さんと同じシングルマザーの道を辿るのだろうか。「わたし」も閉経が近い。新しい仕事は水商売だろう。社会では3人とも弱者でその存在を否定されている。崖っぷちの「人生」を生きている。「なんのために・・・生まれてきたの?」

 

 男も同じだ。なんのために「生」があるのか。「性」のため、女を受精させるため?女の乳房で興奮するようにできている。男根主義などという言葉で誤魔化す必要もない。扁桃体をノックアウトしたサルは、食欲と性欲しかなくなるという。ひたすら食べて、セックスする。東大でも慶應でも、男子学生が集団で女性を襲って何食わぬ顔をして日常生活を送っている。いや、学生だけに限らない。すべての世代で地位も名誉も関係なく、男も女も盛りのついた猫のように異性を求めて猛り狂っている。男性ホルモン(女性ホルモンも男性ホルモンからつくられる)とドーパミンに支配された社会。こんな世の中に生まれた子供たちはみんな、緑子のように「生まれこやんかったらよかった」とつぶやいているかも知れない。それは昔のように単なる思春期のメランコリイではなく、「生」と「性」が露骨にゆがめられ、誰しもが明日は電車に飛び込むか、殺されるか、わからない不条理が支配する社会の中にいることに感ずいている。少子化はそうした時代の空気を反映した結果だ。

 オランダでは、20代の女性が安楽死した。幼少期にレイプされ、トラウマとなって苦しみ続けてきた。両親も医者もその苦しみを癒すことができなかった。(Netherlands Sex Abuse Victim With ‘Incurable’ PTSD Allowed To Die By Euthanasia)ベルギーでは安楽死に年齢制限がない。10代の女性が安楽死した。ベルギーのパラリンピアンで金・銀メダリストMarieke Vervoort37歳)は来年の安楽死を公言している。カリフォルニアではALSで苦しんでいる41歳の女性が安楽死を選択し、お別れのパーティを開いた。

 日本でも安楽死の法制化が検討されている。群馬大学腹腔鏡手術殺人事件、相模原障害者殺人事件、大口病院連続殺人事件と、時代は優生思想に傾いている。安楽死法は悪用・濫用されるだろう。だが、この時代の流れはいかんともしがたい。


がん代替療法について

  10月に入り、街にはちらほらハロウィーンHalloweenの装いが見え隠れし始めた。その起源について諸説あるが、古くケルト人たちが冬の到来を告げるお祭りとして10月末に行ったのが始まりとする説が有力だ。16世紀末に発表されたシェイクスピアの喜劇『ヴェローナの二紳士』(The Two Gentlemen of Verona)にも出てくる。日本にもディズニーランドの催しとして輸入され、クリスマス、ヴァレンタインズ・デイなどともに季節的行事として浸透している。ハロウィーンのコンセプトとしては、亡くなった人々の魂との交流である。悪魔、ミイラ、妖怪、妖精に扮した子供たちが家々を訪問し、トリック・オア・トリート(Trick-or-treat)と叫ぶ。トリック(悪さ)されたくなければ、「お菓子をくれ」と要求する。エンターテインメントの形式をとっているが、元来、今は亡き人々に対する鎮魂祭である。こうした祭事は世界中にある。日本ではお盆がそれに相当するだろう。

 さて、2008年、Trick or Treatment?(トリック・オア・トリートメント)という本が刊行された。副題にAlternative Medicine on Trial「代替医療を裁く」とある。著者は、Edzard Ernst and Simon Singh。代替医療も手掛けた経験を持つ医学部教授とサイエンス・ライターのコラボ作だ。日本では2010年に「代替医療トリック」(新潮社)として訳出され、2013年に「代替医療解剖」(新潮文庫)として文庫本化された。どちらの日本語タイトルでも原題のエスプリが消えているのが残念だ。「インチキ医療で本当にいいの?」というのが原題の含意だろう。

 さて、前回のブログ・エントリーで標準療法こそ「がん」を悪化させ、悪液質を招く元凶だと指摘した。その理由を一口でいえば、手術、抗がん剤、放射線という三大療法のすべてが身体を傷つける(侵襲的=invasive)ものだからだ。

 しかし、現代日本では、がんが見つかったとき、患者本人や家族が標準療法以外の(補完)代替医療(CAMComplementary and Alternative Medicine)を選択することは困難である。医学界が定めた標準的なプロトコルを事実上「強制」されるからだ。「残念ですが、あなたは『がん』に侵されています。ステージはOOです。」と告知され、OOに機銑犬入れられる。そして、ステージ鍵奮阿任△譴弌⊆蟒僂塙海ん剤が奨められる。「ステージが若ければ、完全寛解も期待できます。抗がん剤でがん腫瘍を小さくして切除し、術後にも抗がん剤で残ったがん細胞を死滅させることができますから。抗がん剤も日進月歩でいいものが次から次へ開発されていますので、大丈夫です。納得されましたか?『患者様』」とインフォームド・コンセント文書に署名させられる。この時点で、エツァート・エルンストとサイモン・シンが信奉する「標準療法」を拒否できる患者が何人いるだろうか?

 しかし、主治医の説明には多くのトリックが含まれている。現在、使われている主要な抗がん剤のほとんどは4050年前に開発されたものである。当時、がん治療薬はなく、どうせ死亡するのだからと、アルキル剤(マスタード・ガス成分)を主とする細胞毒を処方したのが抗がん剤の始まりだった。現在に通用する二重盲検ランダム化比較臨床試験など実施されたか疑わしいまま、ガイドラインに取り入れられた。投与後28日間以内に腫瘍体積が半分に縮小すれば抗がん剤として効果があったとされ、薬として承認されるが、その割合は100人中20人でOKなのである。つまり、8割の人には効かない。しかも、効いたとされる2割のがん患者にも延命が約束されたわけではない。多くの場合、5週間目以降、リバウンドして腫瘍が大きくなるか、他臓器に転移してしまう。ただし、悪性リンパ腫など血液のがんなどごく一部のがんには抗がん剤が効く場合もある。固形がんには効かないどころか、正常細胞を傷つけ、悪液質を招く。

 たしかに、手術、抗がん剤など標準療法を受けた後、回復した人も身近に存在するが、そうした人々が「本当のがん」だったのか、疑問がある。身体の中にできた「おでき」や「吹き出物」の可能性も否定できないからだ。「悪性/良性」の判定に絶対的なものはない。また、そう考えなければ、全身にがんが転移して明日にも死ぬと言われた人が奇跡的に寛解するはずがない。(故筑紫哲也氏と同じ時期に末期がんと診断されホスピス送りとされた(朝日新聞の)先輩の方が元気に生存されておられると立花隆氏がどこかで書かれていたと記憶している。ただし、奇跡的に免疫力が回復するケースもあると思われる。以下に述べるように現段階ではプラセボ効果と呼ばざるをえない「劇的寛解=Radical Remissiont」と呼ばれるケースだ。)

 

 さて、がんに対する標準治療を拒否した場合、がん患者として「放置療法」しかないのだろうか?前掲の「代替医療解剖」は、代替医療はインチキだと断罪する。ホメオパシー、鍼、カイロプラクティック、結腸洗浄、鍼灸、漢方薬などは、「科学的根拠に基づく医療」(EBM : evidence based medicine)という現代医療のプロトコルから逸脱していると主張する。代替医療が「代替・補完」の位置づけに留まっている理由は、二重盲検ランダム化臨床試験という手続きを経て客観的・統計的に証明されていない以上、科学的とはいえないからだ。がんについていえば、免疫・ワクチン療法、温熱療法、ゲルソン食事療法(無塩食、動物性蛋白質摂取制限、ω3以外の油脂摂取制限、新鮮な有機野菜ジュース・スープなど)、アーヴェルユーダ、漢方薬・ハーブ、サプリメント、ヨガ、レイキ、マッサージ、アロマθェラピー、BRMBiological Response Modifier;アガリクス、カワラタケなどキノコ、サメ軟骨、フコダイン(海藻成分)、カテキン、納豆、乳酸菌、黒にんにく、プロポリス(蜂蜜)、レートリル(ビワに含まれるアミグダリン)、etc.}などが実践されている。これらのがん代替療法の有効性は科学的に証明されていない。(ただし、オランダでは放射線+温熱療法の比較優位が確認されている。)

 果たして、これら標準療法以外の療法にはまったく効果がないのだろうか?イギリスのチャールズ皇太子をはじめ、有名人たちの中には代替療法を強く支持する人々もいる(俳優のスティーヴ・マックイーンはがんをレートリルで治そうとして亡くなった。)WHO報告書では一部の鍼灸療法の有効性を認めている。「代替医療解剖」の著者たちも、一定の効果を認めているものもあるが、それはプラセボ効果に過ぎないと主張する。

それでは、プラセボとはどうして起きるのだろうか?白衣の名医が高級感のある緑色のパッケージの薬を処方すれば偽薬であっても症状改善効果が認められる。11錠よりも2錠服用と処方された方が効果が高い。条件づけられた期待効果というべき心理的なものだ。

 ケリー・ターナー著「がんが自然に治る生き方」(プレジデント社)では、ブラジルで神様のジョンと呼ばれる人物の下にがん患者らが全世界から集い、スピリチュアルなプラクティスを通じて難病を克服しようとしているケースが紹介されている。生活様式、食事内容を見直し、心と身体のバランスの崩れを矯正しようというものらしい。「何を飲食するか、運動は?睡眠は?量は?質は?」と自分に問いかけ、ストレスや怖れを除去し、愛や幸福感を感じられるようにすれば、一人一人が生きる力を自らの内側から引き出すエンパワーメントを得ることができるというものらしい。

 がんの自然退縮はプラセボ効果の極限にあると思う。スピリチュアリティ云々といえば、胡散臭くなるのは否定できないが、私たちは日常生活で霊的な感動を経験している。集中力が増し、モノゴトがゾーンに入ったように進むとき、亡くなった肉親に夢で邂逅したり、オーロラなど自然の神秘現象を生で体験したり、など自らの霊性が高まる奇跡のような体験。

 デカルトがすべての存在を疑問に思って辿り着いた結論は、そのように疑っている自分の存在は疑えないとするものだった。そこでいう自分とは形而上的な「精神」である。しかし、その精神とは、肉体というハードウエアに依存する。目、鼻、耳、舌、皮膚といったセンサーの精度次第で感応の有無・程度が変わる。いいかえれば、個々人で異なるし、同じ人でも健康状態によって変わる。そうした入力装置だけではない。視覚や聴覚でとらえられた外部刺激は神経を伝わり、脳に届くが、刺激によって反応する部位が異なる。外部刺激は電気信号(カリウムイオン、ナトリウムイオン、塩素イオン)に変換され、それぞれのイオン・チャネルをドミノ式に伝わり、ニューロンの軸索接合部位であるシナプスに到達する。そこでグルタミン酸やγアミノ酪酸(=GABA)という化学物質を介した伝達方式に切り替わる。そこでの受容の有り方、すなわち、NMDAなどの受容/グリア細胞の働き次第でアウトプットが変わる。つまり、神経伝達経路がどこかで断線していれば、物理的に存在していても、「ない」ことになってしまう。あるいは、自分には「赤」に見えていても、他人にどう見えているか、わからない。味と同じだ。他人の味覚も永久にわからない。

 デカルトが精神と肉体を区分して、自分の精神=心という実体を認識の出発点とし、肉体を機械と見做したことで、科学は人間を生物機械とする(要素)還元主義に陥ってしまった。DNAが発見され、ゲノム解析が行われ、がん細胞の分裂周期に合せた抗がん剤が開発されたが、DNAには様々な修飾がなされている。DNAが巻き付いているヒストンにも修飾がなされている。クロマチンが緩んでいる箇所があれば、凝縮している箇所もある。科学がやってきたことは、ひたすらミクロを覗きこみ、様々なモノや活動に名前を付けて分類したに過ぎない。言葉の世界でだけ通用する論理式に従って仮説を作り続けてきただけだ。子宮頸がんワクチン禍についても分子量の大きい物質はBBBを通過できないから、アジュヴァントに含まれるアルミニウムや保存剤のチメロサールは脳には影響しないと言われたものだが、インスリンも通過するし、アンフェタミンも通る。トランスセリンレセプターなどの受容体と結合すれば分子量が大きくても脳内に侵入できることがわかっている。

 がんに関していえば、インターフェロンも、イレッサも、オキサリプラチンも、アバスチンも(そして、オプジーボも)、画期的新薬と言われたが、目論見通りにはいかなかった。それはたぶん、ヒトを精神と肉体に分けるという発想の限界を示している。魂の発現場所が脳だとすると、そこへのアプローチなしにはがん治療の将来はないだろう。ドーパミン、エンドルフィン、セロトニン、オキシトシンなどのホルモン(下垂体−視床/内分泌系)と血液・免疫機構(マクロファージ、マスト細胞、T細胞、B細胞など)、ユビキチン・プロテアソーム/オートファジー・リソソーム機構、神経伝達系のすべてを考慮に入れなければ、有効な解決法に至らないだろう。現段階ではとても無理だ。そうだとすれば、プラセボ効果の解明こそ優先すべきだろう。


抗がん剤とオプジーボはバッティングし悪液質を招くだけ

 このところ、「がん」が話題とならない日はない。がん保険のCMでは、「19歳のときがんが見つかりました。がんになって、いい子をやめました」という山下弘子さん(24歳)、咽頭がんで声帯を摘出した“つんく”氏(47歳)が登場している。市川海老蔵の奥さんである小林麻央さんは33歳の若さでステージ4の進行性乳がんに罹患しているという。北斗晶さん(49歳)も乳がんで闘病中であることを公にしている。マスコミによると、いずれも標準療法(手術、化学療法、放射線)を選択しているとされる。(但し、ステージ4の患者の場合、周囲組織への浸潤、遠隔転移が確認されているため、原則として手術は選択肢とされない。)

 昨年924日、女優の川島なお美さんが54歳で亡くなった。肝内胆管がんだった。抗がん剤治療を最期まで拒んだという。今年の99日、一周忌を前に夫の鎧塚俊彦がテレ朝「徹子の部屋」に出演し、「女房のことに関して言えば、僕は抗がん剤はやらなくて正解だったと思いますし、本当に最後まで女房は頑張って幸せだった」と語った。鎧塚夫妻著書『カーテンコール』(新潮社)の中で、決断に至った経緯が述べられている。主治医から、抗がん剤治療しか打つ手はないが、余命1年には変わりませんと宣告され、「(抗がん剤の)副作用にも耐え、抗がん剤治療を行う意義がどこにあるというのでしょうか?人としての尊厳を傷つけ、女房にとってすべてでもある、女優としての生き方にも支障をきたす抗がん剤治療に。要するに、現代医学では抗がん剤治療しか施せる術(すべ)はなく、万が一の可能性に賭けましょうということでしかないのです」と判断されたという。

 「徹子の部屋」で最期を振り返り、夫婦二人きりになって「『今日は徹夜だな』なんて言って、『2人でゆっくり過ごそうな』なんて。もうその時意識がなかったんですが、その途端っていう感じですね。・・・女房は僕の手をしっかりと握り締めて、体を起こして僕の顔を、目をしっかりと見てですね。最後もうほっと一つなんか魂を吐くように息をしたかと思ったらすっと…」、天国に召されたという。

 鎧塚ご夫妻は正しい選択をなされたと思う。抗がん剤を中心とする化学療法を受けた末期がん患者はモルヒネなどオピオイド系鎮痛剤も効かず、苦痛に喘ぎながら悲惨な最期を迎えるからだ。がん(性)悪液質と呼ばれ、体中の組織が非可逆的に自壊していく過程を通らなければならない。もちろん、がん細胞の増殖も一因ではあるが、抗がん剤による骨髄抑制など正常細胞が機能を喪失した結果である。5FU(乳がん治療などで使われる抗がん剤)などでRNAが破壊されたため、アルブミンなどタンパク質が正常につくられなくなる。そうなると、血管が浸透圧を保てなくなり、水分を吸収できない。腹水、胸水が溜まり、身動きのとれない患者を圧迫する。造血幹細胞が破壊され、古い白血球、リンパ球が暴走し始め、様々な(炎症性)サイトカインを放出する。がん細胞からもサイトカインが放出される。インターロイキン、インターフェロン、TNF−αなどが体内で自己組織を攻撃する。がん性(神経性)疼痛にはモルヒネも効かない。薬剤耐性といわれるが、そのメカニズムはわかっていない。モルヒネの大量投与は胆のうを破壊する。

 ところで、「がんが自然に治る生き方」(ケリー・ターナー著プレジデント社201411月)という本がアメリカで発売と同時に米アマゾン“がん部門”1位になり、NYタイムズ・ベストセラーに選ばれた。日本でもベストセラーとなっている。https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%8C%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%AB%E6%B2%BB%E3%82%8B%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E2%80%95%E2%80%95%E4%BD%99%E5%91%BD%E5%AE%A3%E5%91%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E5%8A%87%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%AF%9B%E8%A7%A3%E3%80%8D%E3%81%AB%E8%87%B3%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%8C%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B9%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4833421070

 医者から余命宣告された「がん患者」が自然治癒する事例が世界各地に数多くあることを知った著者がそうした事例を徹底調査・分析して生存者たちが実践する「9つの習慣」にまとめたものである。医者側からすると、奇跡的にがんが自然退縮したというほかなく、診療収入につながらないため、他の患者に「偽りの希望」を与えるという理由で公にされることはほとんどなかったという。しかし、世の中には、がんの自然退縮を研究した医学論文も存在する。著者はそうした論文を1000本以上分析して、自然退縮への道を探っている。

 現代の西洋医学はデカルト的な物心二元論に依拠している。すなわち、肉体と精神は別物として扱い、がんは遺伝子のコピーミスによって引き起こされる肉体的なものだとする。悪性新生物である「がん」に対する標準療法である手術、抗がん剤、放射線のいずれもが正常細胞も傷つける。がんの再検診で行われる生検でもがん細胞の切り取り方次第では、がん組織から体内へがん細胞をまき散らす可能性がある。マンモグラフィ、CTPETも重篤な放射線被曝を招いている。そもそもがん細胞は目に見えないほど小さい。放射線画像で白く写ったからといって、がん細胞がそこだけに局在しているわけでもない。細胞診・組織診でもがん細胞の異形度・未分化度など病理医の判断は主観的なものに過ぎない。しかも、抗がん剤、放射線(手術の前後に放射線を照射して「がんを小さくする」という施術が一般的だから手術も)は骨髄抑制を伴う。がん化を抑制する免疫システムの根幹はT細胞であるが、骨髄抑制で死滅する可能性もある。(ところが、骨髄抑制の指標として、多くの病院で好中球数しか見ていない)つまり、標準療法では、ヒトの免疫システムを破壊する。

 今話題のオプジーボは結局、NK細胞やキラーT細胞(CTL)という免疫細胞(リンパ球)にがん退治をやってもらおうという考え方に立っているが、シスプラチンやカルボプラチンといった白金系抗がん剤と併用することになっている。免疫細胞の力を借りようとしながら、抗がん剤で免疫細胞を殺すか弱らせるという矛盾。オプジーボの薬価が問題とされているが、そもそもその薬効にも疑問符がつく。奏効率は2割ほどしかないからだ。副作用も気になる。重篤な自己免疫疾患が予想される。それでも「画期的」といわれる所以は、他の抗がん剤がもっと効かないというに過ぎない。統計上、p値にはそれほどの意味しかない。薬価が高く設定された背景にはTPPがある。日本の小野薬品(とBMS)を当て馬にして、英米メガファーマが特許権を盾に高額医薬品を次々と日本に上陸させようと目論んでいるからだ。そういった遠謀深慮のためには中央社会保険医療協議会総会をコントロールするぐらい朝飯前だろう。医薬品の開発費が膨大だという理屈は通らない。開発費よりもマーケティング費用がはるかに大きい。中でも裏金を含め、ロビー活動に費やされる金額は天文学的だといえよう。ノバルティスのディオバン(バルタルサン)、タケダのブロプレス(カンデサルタン)といったARB降圧剤で両社がどのような詐欺的行為を行ったか、そして、それにどれほど費用がかかったか。

 がんは西洋医学では太刀打ちできない。神経系、免疫機構、内分泌系などホーリスティックに対応していかなければ無理だ。笑えばNK細胞が活性化されるという事実はカルトでもなんでない。受精卵に由来する自己細胞が異型化したがん細胞は単純な免疫細胞療法やワクチン療法でも攻略できない。がん細胞が増殖したという事実は本人の免疫系が阻止できなかったということにほかならないからだ。しかも、これまでもがん治療には、TLRという自然免疫系の知見も、TCR再構成という獲得免疫系の知見も、オートファジーという細胞解体機構の知見も考慮されていない(胸腺とオートファジーの関係が重要かも知れない)。

 抗がん剤はあらゆる細胞にネガティヴに影響し、最期は悪液質を引き起こす。だとすれば、がん患者としては自然退縮の方途を探った方が実りが多いのではないか。統計操作で1~2週間の延命効果があったように偽装されている抗がん剤の生存率グラフは、たとえそれを鵜呑みにしたとしても、死の床で「のた打ち回る」ほどの激痛に苛まれ最期を迎えることになる。終末期医療という名目の下に、大口病院に回されてきた患者たちは空きベッドを作るために人工死させられた可能性もある。大口病院に限らず、緩和ケア、ホスピス、終末医療を専門とする医療現場は延命治療は施さないという同意書の下に栄養剤の点滴も行わず、鎮痛剤と鎮静剤を皮下注にしたまま、体重の重い男性患者の場合排泄処理も怠り、ベッドの回転率を高めることだけにあくせくしている、というのが現実なのである。抗がん剤の末路は悲惨といわざるをえない。


カタカナ大改革の必要性−1500年の時を超えて

 英語学習において鬼門のひとつが「音」であることに異論はないだろう。LRの区別、thの発音など、日本語表記できないためだ。アクセントやイントネーションも勿論重要だが、先ず、個々の単語の意味が聞き取れなかったり、発音できなければ会話はできない。

 英単語の発音は発音記号であらわされている。母音であれば、ӕ ɑ ʌ ə ɔ、子音の場合、ʃ ʒ θ ð ŋ jといった具合だ。英語学習者は口を開けたり、すぼめたり、舌先を上下前歯の間に差し挟んだりして、日本語にはない「音」を出す訓練をしなければならない。

 しかし、日本人が最も苦手とする発音がLRの区別、thの発音にあることに異論はないだろう。理由は簡単だ。カタカナに対応する文字がないからだ。それがわかっていながら、教育現場ではなんの工夫もないまま今日に至っている。ないなら、新しいカタカナを追加すればいいではないか。

 そもそも、カタカナの起源は仏教伝来に遡る。僧侶たちが経典を和読するためには、日本人だけに通用する発音記号が必要だった。当時の日本には文字がなかったから、漢字を真名とし、仮名(仮の名)が日本人用として借字(万葉仮名)が用いられ、その一部が発音記号としてカタカナになったとされる。奈良時代から平安初期にはカタカナの体系が作られていたという。漢字について、中国式発音を学ぶべきだったにもかかわらず、日本式に土着化させ、日本国のテリトリイだけで流通させる道を選んだのだ。漢詩・漢文も日本式に変換し書き下したため、押韻の理解もこじつけに近くなった。しかし、これが日本独自の文化を生んだ。

 しかし、現在、英語は国際公用語となっている。ӕ ɑ はともかく、L/RTHを識別できないような表現形式しかないということではあまりに非効率である。もっといえば、BVSSHも区別して表記した方が、英語学習の利便性が増すだろう。

 私の英語はまったくの独学だが、TOEIC3回受験して945点、英検は1級だけしか受験していないが、2回目で合格した。日ごろから、英単語を日本語に置き換えるとき、カタカナ表記するように習慣づけたことが役立った。たとえば、カタカナのラ行は使わず、Lァ、Lィ、Lゥ、Lェ、LォもしくはRァ、Rィ、Rゥ、Rェ、Rォとなる。こうすると、Lァイト=LightRァイト=Rightとなり、「ライト」がLRのどちらか、迷うことはなくなる。THについては、発音記号θをそのまま使えばいい。三塁はθァードとなる。米韓で導入設置が決まった「THAAD」(Terminal High Altitude Area Defense)はサードではなく、θァードでいい。この区別はとくに人名で有効だ。オーストラリアの水泳選手Ian Thorpをイアン・ソープと呼んだのでは、Soapになって相手に失礼だ。θォープとすることにより、2重学習の必要がなくなる。テニスの"Stan" Wawrinkaもワウリンカなのか、バブリンカなのか、メディアによってカタカナ表記が異なっていて混乱するが、ヴァヴRィンカが正しい発音に近いのではないか。Singleもシングルではなく、スィングLゥとすればいい。Vitaminもわざわざビタミンと表記する必要もない。ヴァイタミンか、ヴィタミンと表記すればネイティヴ(native≠ネイティブ)にも通用する。

 ただ、ドイツ語やフランス語といった大陸言語に起源をもつ英単語の発音をどうするか、という問題は残る。Germanをゲルマンと呼ぶか、ジャーマンと呼ぶか。

 さらには、中国人名も相互主義は止めて、英語読みに変えた方がいい。英語でのコミュニケーションを目的とするなら、習近平をシュウキンペイと覚えるより、ストレートにxi jinping シージンピン」と表記した方が英語圏はもとより中国人とのコミュニケーションにも役立つはずだ。(中国人が日本人名を中国式に読むから、その見返りに中国人の名前も日本式に読むという官僚たちの子供じみた「相互主義」で損をしているのは一般の日本人の方である。シュウキンペイでは英米人ともコミュニケーションがとれない。)

 日本では、英語学習を国際化の必須要件としているわりには、内外のコミュニケーションに差を設け、徒に表記を複雑にして学習効率を引き下げている。大和朝廷時代、平仮名やカタカナを発明した大和民族の魂を受け継ぐなら、1500年ぶりのカタカナ改革こそ喫緊の課題だろう。


『君の名は。』は右脳を震えさせる

 アニメ映画「君の名は。」を観た。暗闇の中で涙が溢れ、一筋、また一筋と頬を流れた。

 Eテレで新海誠と川上未映子(作家)の対談を観て、この映画監督に興味を持ったのがきっかけだった。Box Officeはすでに宮崎作品以来の100億円超だという。それだけ多くの人たちに感動を呼び起こしているのだろう。

 平面のスクリーンに映し出される動画から放たれる光子が眼球筋肉を振るわせ、水晶体と光彩を調節させ網膜を経由して視覚皮質へ届き、内部表象として結ばれる。このとき、初期感覚皮質、連合皮質が活性化されると同時に辺縁系の扁桃体や海馬とも目まぐるしく信号がやりとりされている。その結果、ニューロンだけではなく、視床下部など内分泌系と免疫系も活性化され、自律神経のうち交感神経の働きを高めたことで涙が出てきたのだろう。この映画は映像とストーリイ展開で右脳の体性感覚皮質にある無数の回路の発火を促す。以上が、言語や理屈を司る左脳的理解だ。こうした思考法では、なぜ、男女のこころが入れ替わるのか、といった理屈にこだわるあまり、魂の震えを感じ取ることができないだろう。

 

 相模原にある障害者施設で大量殺人事件が起きた。犯人は障害者に生きる資格はなく、社会の足手まといに過ぎないと主張した。逮捕された後もその主張を取り下げようとはしていないという。グローバリゼーションが浸透し、成長が鈍化したゼロサム社会では、すべてが効率優先とされている。労働者も生産性が低いと首を切られる。ブラック企業では労働者を奴隷扱いしている。国も労基法を緩め、労働環境は著しく悪化している。警察も相模原事件の確信犯を理屈で説得できていないという。今、世の中は左脳中心に動いているからだ。社会的弱者は自己責任でやってくれ、というのだ。

 その根底には、「自分さえ良ければいい」、他人のパンを奪ってでも自らの生存を確保しようとする本能的自我を正当化しようとする思想がある。つまり、日本社会はいつの間にか、ホッブズのいう「万人の万人に対する争い」を許容する原始社会に戻ってしまっているのだ。本来、皆が誓約したはずの最低限のルール=法律さえも守られていない。増田寛也氏が都知事に就任していたら、豊洲市場の瑕疵は露見しなかった。都議会で圧倒的多数を占める自民党が知事と結託して、都民に真実を知らせることなく、都民からむしり取った税金をいいように使ってやりたい放題をやっているという現実。もちろん、豊洲問題だけではない。都立広尾病院移転問題はもちろん、すべてが役人の匙加減ひとつで決まっている。だが、本当は、内田茂前幹事長を首魁とする自民党都議団が黒幕ではないかと多くの人が疑っている。この構図はひとり東京都だけの話ではない。国政レベルでも、安倍自民党の圧倒的な権勢の影に多くの不祥事が隠蔽され続けている。

 ホッブズによれば、本来、国民が自らの自然権を放棄し、超越する第三者に信託することによって国家成立となったはずだ。そこでは、「一人対その他の民」という心理的構図が醸成され、それが国の強制力の源泉となってきた。つまり、ルールを守らなければ、自分以外のすべての民を敵に回すことになるという了解が人々を拘束するはずだというのだ。ところが、現在の日本では、権力者たちがルール違反をしても、それが隠蔽され、誰も異を唱えることができない。東京都では、たまたま小池知事が誕生し、その闇世界を暴き始めたために大騒ぎになっている。無知な都民が事情を知ることができたために是正する機会が生じたというわけだ。しかし、読売、産経、日経などマスコミは責任追及を役人レベルにとどめ、早々に収束を図ろうとしている。当然のことながら、国政レベルではもっと闇は深い。甘利前大臣のあっせん利得疑惑に対して東京地検特捜部は不起訴処分とした。普天間移設問題にしても、裁判官は自己の良心に基づき判決を下せない。民進党代表に選出された蓮舫参議院議員にしても野田氏を幹事長に指名した。これらすべてのベクトルの矢印の先には戦後日米安保体制を主導してきた守旧派の権力基盤が横たわっている。つまり、豊洲移転問題とは比べ物にならないくらい重要な案件がカーテンの影に隠れて実行に移されている。自民党の圧倒的多数による支配構造がそれを可能にしている。なんど選挙をやっても、甘言を弄する自民党議員に投票する日本国民にはホッブズが想定する近代人の知性が欠落しているとしかいいようがない。

 

 「君の名は。」では、太古から受け継がれたDNAの縁が時空を超えて交錯する。あの世という反物質の世界と現前の濃厚な「生」が共鳴する。原爆、911311のイメージ。楢山に擬せられる深山のカルデラ火口跡に広がる緑の下には死の世界が拡がっている。

 地震、津波、氾濫など自然災害、交通事故、がんなどの病気、肉親の死。多くの人々にとって、深刻な災厄は自分や家族に降りかかるまでは他人事である。ところが、当事者になってみると、それまでの風景が一変する。つまり、わたしたちは、いつあの世に逝ってもおかしくない儚い命を生きているということがわかる。

 障害者のみなさんは好きで障害者になったのではない。それでも毎日、享けた生を全うしようと生きている。弱者をただ無用物と切り捨てる社会は獣にも劣ると言わなければならない。

「当然のごとく明日は来る」と信じる左脳中心主義者たち、前頭前野が駆動できない人たちには、この映画の良さは伝わらないかも知れない。もちろん、「津久井やまゆり園」を襲撃した犯人の目には荒唐無稽なストーリイとしか映らないだろう。だが、現代日本社会は、この犯人が志向する「楢山節考の世界」に戻っているのではないだろうか。


増田寛也氏が説く「都政の安定」とは?

 20142月、舛添要一氏は2112979票を獲得し東京都知事に当選した。安倍政権・自民党東京都連、連合東京、公明党東京都本部などの支持を取り付け、「組織票」をがっちり固めると同時に、元「東大法学部助教授」の肩書でクレバーさ、カネにクリーンな政治家というイメージを民衆の心に焼き付けた。「8000人の待機児童を4年間でゼロに」と宣言し、エネルギー政策に関しては他の候補者同様、脱原発を志向し、「現在6%の再生エネルギーを20%にする」と環境への配慮を訴えた。経済活性策に関しては、「東京を国家戦略特区とする構想」を打ち上げた。

 舛添氏が掲げた、これらの政策は4年の任期中に達成されるべく、準備されていたのであろうか?都議会や都民はこれらの進捗状況を監視してきただろうか?海外公費出張、美術館視察、美術品オークション、湯河原通い、ホテル三日月家族旅行、そば打ち、ピザ窯など、趣味と実益を兼ねたこじつけ公務が公約実現より優先されてはいなかったか?そしてなりより、カネにクリーンだったか?

 25か月前、舛添氏に一票を投じた都民は、自らの判断ミスを反省しなければならない。わたしには当時、舛添氏の言説にCredibilityはまったく感じられなかった。口から出まかせのペテン師としか考えられなかった。舛添氏に投じられた211万票は、たぶんにマスコミによるマインド・コントロールされた結果だろうが、有権者たちにその自覚があるだろうか。

 さて、今回の知事選に関しては、増田寛也氏がかつての舛添氏を彷彿とさせる。安倍政権・自民党都議団による丸抱え候補者である。案の定、都政の「安定」を強調している。彼が唱える「安定」とは、国と都議会自民党と「なかよしこよし」の蜜月関係を意味する。重要な案件はすべてカーテンの後ろで談合の上、事前に決定される。議会における野党の追求は言を左右にして切り抜け、徒に時間だけを消費させ、原案通り多数決ですんなり可決する。まさしくスムーズで安定した決められる政治だが、必要な議論を回避する、形だけの民主主義でしかない。それでも、自公支持者たちは党に命じられるまま投票用紙に「増田ひろや」と書くのだろうか。

 そろそろ学歴主体の「日本型エリート」に対する盲信を見なおすべきではないか。舛添氏も増田氏も東大法学部卒の秀才である。舛添氏はアカデミズムに残り、増田氏は官僚となった。その後、かたや国会議員へ、かたや知事へと政界へ転身した。受験勉強で会得した処世術をそれぞれの世界で生かして頭角を現したといえよう。すなわち、たとえ、本音では同意できなくとも、上位者=出題者の意図を忖度して解答するように訓練されてきた。TVのクイズ番組を想い起こせば理解しやすい。質問やヒントの途中でも速く解答できる才能だ。問題と答えがパターン化されているからこそ可能となる。明確に、一対一の対応関係が成立している。本来、実社会では通用しなくとも、受験勉強ではひたすら、この関係を覚え習熟するように努力する。英語単語記憶術を思い浮かべればわかるだろう。数学でも同様だ。答えと解法パターンの組合せを記憶すればいい。受験とは、まさに連想ゲームにほかならない。小論文対策も、想定される出題者の意図に沿った論旨展開が要求される。個人としての考えは答案に書くことは論外。つまり、「主観」を捨て、出題者が期待する理想的な「客観」を答案に表現する。まさに舛添氏が都知事選で提出した政策に表現されている。本心とは180度異なることでも平気で訴えかけることができるのである。つまり、受験時代に身に付けた戦術である、事前に想定問答集を用意し、そこに相手を喜ばせる用語をちりばめ、模範答案に仕立て上げる。つまり、東大を頂点とする日本型エリートとは、出題者=上位者などの権力者の意に沿うように訓練された人々のことを指す。権力を持つ上位者とはアカデミアにあっては教授、官僚世界にあっては事務次官である。その権威者に阿ね、たとえ意見を異にしたとしても面従腹背で応える態度こそ日本型エリートの神髄なのである。だからこそ、一旦、権力を握ると、公私混同、エゴ丸出しの卑しい人間が露呈してしまうということだ。こう考えれば、科学領域におけるノーベル賞受賞者に東大出身者が少ないのも頷けるだろう。世界大学番付でも東大の地位は低下する一方である。

 たとえば、青色発光ダイオードを開発した、日亜化学と名古屋大学。当時、東大を中心とするメインストリームの科学者は半導体材料としてセレン化亜鉛(ZnSe)に注目し、窒素ガリウム(GaN)は名城大学赤崎勇教授(松下電工出身)、電子技術総合研究所吉田貢博士、NTT松岡隆志博士など傍流とみなされる研究者によって実用化が模索されていたのみであった。その過程で、半導体材料の結晶化成長法として液相結晶成長法、気相結晶成長法が編み出され、赤崎教授ら3人のノーベル物理学賞受賞につながった。あるいは、iPS細胞でノーベル生理医学賞を受賞した山中伸弥京大教授も誰しもがES細胞に着目する中、成熟した体細胞に遺伝子を組み込むことによって多機能細胞を編み出した。いずれも、科学エリートの世界では異端とみなされていた。

 アカデミアや官僚世界と異なり、現実は多様である。黒田日銀総裁ら日本型エリートが机上で考案したアベノミクスが国民の年金資産(GPIF)を20兆円ほど犠牲にしても功を奏しない理由もわかるはずだ。石原慎太郎のベストセラー「天才」の主人公、田中角栄は学歴はなかったが、誰もが認める天才だった。

 増田氏は小沢一郎氏の指導の下に建設省官僚から岩手県知事へ転じ、312年勤め上げた。2期目からは小沢氏から離反し、国に命じられるまま、地方債を発行し借金を2倍の14千億円に増加させた。それだけ公共事業を増やしたということであり、国と県議会と蜜月関係にあったことを示している。任期中、ファーストクラスを利用した海外主張を頻繁に行った。マスコミにつけられた「改革派」知事の称号とは裏腹の実態があった。岩手県知事退任後は、安倍政権で諮問委員会などの委員に任命され、「地方自治」専門家として、舛添氏のファーストクラス利用など高額出張費などを批判しているが、ブーメランを意識していなかったのだろう。増田氏が説く「安定」した県政運営とは、県財政を大幅に悪化させることによって得られた県議会と国との蜜月関係を意味する。安倍政権応援隊のマスコミが小池氏や鳥越氏に対するネガキャンを活発化させることになるだろう。その結果、増田知事誕生となるが、増田都政の下で、都民の血税がどれほど五輪などの利権につぎ込まれることになるか、想像もつかない。2年半前、舛添氏に投票した都民はまた、同じ轍を踏むつもりだろうか。


参院選で示された東北人の知性

 2016710日、第24回参院選は自公の圧勝に終わった。安倍首相が勝敗ラインに掲げた、改選定数の過半数を与党で確保した。これで、アベノミクスほか、安倍政権の政策は国民の信任を得たということになる。しかも、改憲勢力の自民・公明・維新の3党で75議席を獲得し、非改選の議員と合わせると憲法改正案の提出に必要な3分の2議席も確保した。投票率は54%、戦後4番目の低さだった。

 民進党は改選45議席を10議席以上割り込んだ。共産など野党4党による統一候補の擁立で注目された「1人区」(32選挙区)では自民党の2111敗だった。(以前、ブログでも指摘したが、野党共闘が成立していなければ、民進党は20程度は議席を減らしたはずだ。岡田代表の下では風は吹かないことがはっきりした。)憲法改正問題を争点としなかった安倍政権側の作戦が奏功した。アベノミクスとは、消費税増税を可能とするために導入された「超短期的な非常手段」のはずだったが、その「禁じ手」を用いても景気は回復しなかった。黒田総裁らエコノミストは市中にじゃぶじゃぶカネをつぎこめば当然インフレになると保証したからこそ、安倍首相は来年4月に2%消費税を引き上げると断言したのだ。これを再延期せざるをえない状況は国民生活に深刻な影響を及ぼす。賢明な国民であれば、安倍政権にNOを突き付けるはずだ。官邸は逆風が吹くものと覚悟していたが、まったく拍子抜けの結果となった。新しく選挙権を付与された若い人たちとお年寄りたちが与党を強く支持したという。

 今回の選挙で特徴的だったのは、東北地方では野党候補が善戦し、関西・九州地方では与党が圧勝したということだ。311を経験し、TPPで裏切られた東北地方の人々は自民党政権の本質を知悉している。実態を伴わない美辞麗句を連呼されても、具体性はない。TPP対策としては、農家に対して一時的な所得補償をするだけである。財源は税金。高齢の農民が多いから、黙っていても農民人口は急減していく。それでなくとも、TPPで日本の農業の未来はない。所得補償の予算措置も長くて5年が限度だろう。農産物の輸出促進という話も詐欺に近い。農薬を大量に使う日本の農産品には放射能汚染という問題も付きまとう。ごく一部の先進的経営農家が海外の富裕層をターゲットに輸出に成功しているというトピックが報道されるが、たとえば円高というリスクを考慮に入れてもサステインするはずがない。東南アジアに出て行って、大規模作付した方がずっと儲かる。日本の国内農業は潰えるしかない。自民党議員は「強い農業」、「足腰のしっかりした農業」を推進するというレトリックを用いるが、具体策はない。結局、TPP締結後、日本の田園風景は一変することになるだろう。いわゆる、モノ・カルチャー、すなわち、アメリカ型の単一栽培、しかも、遺伝子組み換え農作物に切り替えられる。殺虫剤の撒布は不必要となる。農作物自体が殺虫剤を産生するからだ。そのように遺伝子が組み換えられている。しかも、大量の除草剤が空から散布される。日本の里山は消滅する。

 東北地方の農家の方々であれば、この程度のことは想像できているだろうが、西日本の人々にはそういった経験がない。情報もない。だから、危機意識も乏しい。自民党政治家は、「政治の安定が大切」と強調する。混乱を忌避したいという人情に訴えかける。日本では、賛成と反対に分かれて議論を尽くすという習慣がない。安保法案の国会審議を見れば、言葉を弄んでいるだけである。与党だけではない。野党もそうだ。国民の目には「口喧嘩」、「混乱」としか映らない。徒に審議時間だけが延びて「決められない政治」とマスコミを通じて喧伝される。つまり、国会審議自体が言論を無力化している。日本では、話し合っても内容が高まることはない。だから、安倍首相の答弁は先に結論ありきの堂々巡りとなるばかりであり、法律さえも、政治資金規正法のように「ザル法」だから、順守しなくともお咎めなし。憲法9条があっても軍隊を海外派遣できるのであり、武器輸出もできるのである。情報開示を求めても、黒塗り文書の提出で済まされている。西日本の人々にとっては、このようなことも「どうでもいい」のである。民主主義などとは御書物の世界のことに過ぎないというわけである。日本人には西欧型知性はなじまないというほかない。

 

 10日夜、各局の参院選開票速報を見ていたら、たまたまNHKで鹿児島県知事選の結果が流れた。元テレ朝コメンテーター、三反園訓氏(58)が当選したという。勝利した三反園氏は「地域経済活性化」に向けて奮闘すると誓っていた。そこで、ネットで検索してみると、「原発いったん停止し再検査を」と題する、朝日デジタルの記事がヒットした。

 三反園氏は午後824分、選挙事務所に集まった支持者200人を前に、「私は原発のない社会をつくろうと一貫して訴えている。熊本地震を受け、原発をいったん停止して再検査し、活断層の調査をすべきだ。・・・安全性が確保されない原発は動かすわけにはいかない」と述べた、報道されている。選挙戦では、「川内原発を停止し、点検するよう九電に申し入れる」との公約を掲げ、支持を広げたが、かならずしも反原発の主張を強調せず、保守層にも気を配った、という注釈も加えられている。

 問題は、NHKの報道姿勢である。川内原発を抱え、熊本地方を襲った地震、阿蘇山・新燃岳・桜島・口永良部島など火山活動の活発化などで原発再稼働に対する地域住民の不安は一段と高まっている。三反園氏が知事候補として、その住民の不安を正面から取り上げ「公約」にも掲げて当選したのである。選挙事務所での勝利宣言でも言及している。これをNHKはスキップした。

 NHKのスタッフを批判するつもりは全くない。安倍政権から任命されたNHK籾井会長から厳命が下されているだろうからだ。安倍政権の政策に不利になるようなニュースは流してならないからだ。NHKのニュースだけでは、保守王国鹿児島で知事が交代したこと以上のことはわからない。多くの視聴者はなんの疑問も懐くことなく、スルーしたことだろう。これこそ、安倍政権の戦略といっていいだろう。

 ここで、EU離脱を決めた、イギリスの国民投票との対比が闡明となる。日本のマスコミ報道とは異なり、先週月曜日のテレ朝番組で橋下徹氏や木村太郎氏はイギリス人の民度の高さを褒め称えていた。橋下氏は現地に飛び、取材の過程で、十分な情報をもとに老いも若きも議論に議論を重ねている姿を目の当たりにしている。EU離脱が決定してから、いろいろなことがはじめてわかった、などというウソを日本のメディアは報道していたが、それらは残留派が以前から主張していたことだった。EU離脱後の詳細なスケジュールなどあるはずがない。相手のある話だからだ。重要なことは、イギリスは国家として、EUから離脱するという決定を国民が下したという客観的事実である。スコットランドとかウェールズの残留派があれこれ言っても、この決定は覆らない。ポピュリズムなどという非難は、こういった真の民主主義の潮流が日本を襲ったら大変なことになると安倍政権がとらえているからだ。

 結局、日本人は、十分な情報も与えられることなく、その情報の解釈も「マスコミに登場する専門家」に依存し、自分の頭で考えることができない民族だということなのだろう。やはり、西欧型民主主義は日本には馴染まないのではないか。民主主義に不可欠な、哲学、懐疑心、知性が欠けている。


石田純一氏の捨て身の問題提起:都知事選立候補?否、参院選こそターゲットだ!

 俳優の石田純一氏が都知事選に条件付き立候補した。現在の安倍政権はまるで独裁政権のように社会を支配している。この流れに一石を投じるためには野党を結集することが必要で、都知事選にも野党統一候補を立てなければ勝ち目はない。自分をその候補者として認めてもらえるのならば立候補したい、という趣旨だった。

 安倍政権になり、結論ありきで、コトが次から次へ決まっていく。議論が尽くされないどころか、国民にとって必要な情報が隠されたまま、いきなり数の力で日本の進路が180度変えられてきている。集団的自衛権の行使云々という「安保法」があれよあれよという間に法制化され、自衛隊は軍隊として海外へ派遣されることになった。新たに特定秘密保護法の縛りも加わり、国民の知る権利は侵されるばかりである。国民は自らの無知を知らない。庶民が抱える不安の数々-いまだに収束を見ない福島原発放射能汚染・原発プラント輸出推進、集団的自衛権行使容認で自衛隊をアメリカの手先となって武力戦争の現場に派遣させようとする軍拡政策・武器輸出、女性の社会進出を公約に掲げながら一向に解消しない保育園不足・待機児童問題、そして何より、選挙の争点にもしない憲法改正問題など、安倍首相が語る「美しい言葉」とは裏腹の現実に、真摯に向き合ったとき、居ても立ってもいられないと声を上げた。

 石田氏は庶民の不安を代弁した。その率直な語り口に驚く。安倍晋三が首相になって以来、このような「本当のコト」が日本のテレビで語られることはなくなった。都合よく編集され、無毒化されてしまうからだ。ニュース・キャスターらは国政レベルのイシューだと非難した。石田氏の真意は明らかに参院選にも向いていた。「このままではいけない」と選挙民の知性を覚醒させた。投票日を明後日に控えた絶妙のタイミングだった。そもそも、石原慎太郎は都知事時代、頻繁に国政に嘴を突っ込んだ。日本の首都東京の知事ともなれば、その発信力は国政にも影響を与える。マスコミも喜んでこれを報じていたではないか。

 不幸なことに日本国民は自分たちが無知であることを自覚していない。これは戦後体制がそのように仕向けてきたからだ。太平洋戦争後、マッカーサーは精神年齢12歳の日本国民に必要な民主化教育を施そうと日本国憲法の制定を急がせた。基本的人権、国民の知る権利など明文化した。その一方で、GHQによる戦後支配体制は歴史教科書検定を行い、マスコミ、電話、手紙など通信に対する盗聴・検閲を通じて思想を統制した。つまり、日本国憲法は条文の理念と現実に著しいギャップがあった。もちろん、どの国の憲法も理想主義的な建て前と現実の間には乖離がある。しかも、当時の日本国民には「民主主義」の理念など理解することは不可能だった。あれほど戦前日本を否定した丸山真男ですら、民主主義とは何か?について具体的なイメージが湧かなかったと吐露している。

 今日において、GHQがCSISに置き換わっただけで基本的構造は変わっていない。アメリカは戦後、天皇制を残したが、同時に日本人の支配層を2つに区分した。戦犯と傀儡組である。戦犯は処分したが、傀儡組はGHQの手先となり、アメリカの国益に貢献した。大戦中、天皇側近・外務省官僚、日本軍中枢(大本営、軍令部)の中にはアメリカ側のスパイとして働いたグループもいた。これらの日本人は多くの同胞を戦地に赴かせ、戦死させる一方で、戦犯となることを免れ、アメリカ軍による占領政策の実行部隊となった。アメリカも朝鮮戦争勃発・東西冷戦構造の始まりで、手先となって働く、有能な現地リーダー層=日本人を必要とした。吉田茂らはこうして傀儡政権で指導的地位を得ることができた。なぜ、農地解放も財閥解体も中途半端なままに終わったか、あるいは、731部隊がほぼ全員免責され、原爆被害者の治療もおこなわず、記録だけを残すように命じられたか。憲法9条の縛りがあるにもかかわらず、戦後日本がなぜ、警察予備隊・保安隊・自衛隊など軍事組織を編成できたのか?すべてはアメリカの事情である。朝鮮戦争(のちにベトナム戦争)で、派遣された米兵の中でもロジスティクス従事兵の戦死は米軍の士気を著しく削いだ。このため、この機能を日本兵に代替させるため、軍事組織として自衛隊を創設させるとともに集団的自衛権行使容認を吉田首相に要求したのだ。このとき、GHQ内部でも意見の対立があったが、機を見るに敏な(節操のない)日本人たちが生き残った。GHQから委託された文部省の歴史検定委員らは真実が漏れないように細心の注意を払った。表舞台では、砂川判決の田中耕太郎長官のような曲学阿世の輩が建て前を維持したが、裏社会では宇垣機関などがGHQ公認の闇取引で暴利をむさぼると同時に、暴力を使って民衆をコントロールした。戦前の国策通信会社「同盟通信社」は戦後、共同通信と時事通信に分割されたが、もう一つの国策通信社「日本電報通信社」が電通となった。これらの通信社は戦前から海外と接触を持ち、大戦中もダブル・スパイの役割を担う者もいた。このように日本のマスコミは情報源がGHQ⇒日本政府によるコントロールされた形でしか機能できないような仕組み(日本記者クラブ)と歴史をもっている。

 2016年7月1日、バングラデシュの首都ダッカで日本人7人を含む、28人が襲撃されたテロ事件(2016 Gulshan attack グルシャン・アタック)が起きた。犯人たちはISのシンパだという。バングラデシュでは最近、日本人一人が殺され、JICA職員らは早々にバングラデシュを去っていた。マスコミは、日本のODAでバングラデシュに貢献している日本人がなぜ、被害者になるのか、襲撃犯らに“I’m Japanese.”と訴えたのになぜ?と訝しがるばかりだが、2014年9月、エジプト大統領に対して安倍首相は「空爆でイスラム国壊滅を」とISに宣戦布告して以来、湯川氏や後藤氏がシリアで消息を絶ち、殺害された。日本政府が後藤氏の殺害を公式に認めた際、安倍首相は「今後、日本人には指一本触れさせない」と宣言したが、ここでも「言葉」だけの虚しさが漂っている。現在も、安田氏は依然として囚われの身のままである。敵をつくる安倍政権を支持する日本国民は世界中でテロリストのターゲットとなっている。マスコミはこういった事情を正しく伝えているだろうか?


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