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結愛ちゃんは死んでいくしかなかった

 「ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっと あしたはできるようにするから

もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできなかったことこれまでまいにちやってきたことをなおす

これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめる もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします

もう あしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ」

 5歳の結愛ちゃんはこう書き残して天国へ旅立った。今年3月のことだ。目覚ましを自らセットし、毎朝午前4時に起床、街灯の光の下で体重測定、平仮名の練習が日課だった。継父に怒鳴られ、殴られ、蹴られ、軟禁状態で食事も満足に与えられず、厳冬期、ベランダに裸足のまま放置されたこともあった。あばら骨が浮き出るほどやせ、おむつを着けていた。栄養失調の末、自力で動けないほど衰弱していた結愛ちゃんは2月に暴行を受けたあとはほぼ寝たきり状態で、嘔吐を繰り返していた。最期は肺炎をこじらせ、細菌が全身に回り(敗血症)、中毒症状を起こし亡くなったという。免疫の要であるT細胞を活性化させる胸腺は同年代の5分の1にまで縮小していた。もちろん、病院にも行かせてもらえていない。さぞつらく苦しかっただろう。最期まで苦しみ抜いた5年間だったね。死は神様からの贈り物だった。もう苦しまなくてもいいよと天国から手を差し伸べたのだ。

継父の船戸雄大容疑者は、実子の弟が生まれ、性生活の邪魔になった結愛ちゃんに対する虐待はエスカレートしていった。前夫への嫉妬もあっただろう。異常ないじめ・暴力に拍車がかけられた。孤立無援の結愛ちゃんはどうしようもなかっただろう。5歳にして絶望の毎日を強いられていた。

 哺乳動物の子殺しは珍しいことではない。ハヌマンラングール(インドのサルの一種)のハーレムはオスザル一匹に多数のメスザルで構成されている。このハーレムが別のオスザルに乗っ取られると、すべての乳幼児ザルは殺される。京都大学の杉山幸丸によって初めて発見され、発表された。(1965年)他のサルにも同様の行動が確認されている。ツキノワグマも、オスが乳幼児を抱えたメスを襲い、交尾を迫る時、その子熊を殺す。メスは子どもがいると発情しない。そこで、オスは子どもを殺し、メスを発情させようとする。メス熊は必至に子熊を逃がそうとするが、性欲に猛り狂ったオスの衝動には太刀打ちできない。冬眠明け、初夏になり、発情期が訪れると繰り返される光景である。

 イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスの『The Selfish Gene』(1976年、利己的遺伝子)という説によれば、自分の遺伝子を持たない連れ子を育てることに意味はない。遺伝子的には他人の子どもに愛情を注ぐようには設計されていないというのだ。

しかし、冒頭の「ママへのメッセージ」を読み、涙がこみ上げてくるのはどういうわけだろう。児相や警察が助けにならないことはわかっている。所詮、仕事と愛は両立しない。両親や祖父母など近親者に愛情がなければどうしようもないのだ。人間には利他主義という遺伝子もあるらしい。(幼いライオンを救った男性が数年ぶりに再会したときのライオンの反応に世界が涙した!https://www.youtube.com/watch?v=ErteG8PA2rw

 

 現代は弱肉強食社会である。ダーウィニズムが拡大解釈され、(最)適者(fittest)だけが生存を許される時代となった。ホッブズの説く「万人の万人による戦い」の下では、乳幼児といえども、与えられた環境の下、皆、独力で生き延びなければならないのだ。自己責任。口ではセイフティーネットが必要といいながら、福祉事務所も児童相談所も形骸化した制度に過ぎず、社会的弱者は切り捨てられる運命にある。結愛ちゃんに死ぬ以外の選択肢があっただろうか?

 日大アメフトの反則タックル問題も、内田正人監督らの圧倒的権力によって宮川選手はそれ以外の手段を選べなかった。嵌った選手たちはみな、監督らの暴力の前に行動の自由が阻害されていたのだ。自由意思など存在しなかった。内田正人や田中英壽日大理事長の背後には山口組系の弘道会が控えている。日大が新設した危機管理学部の名誉会長は安倍晋三である。日本には日大のほか、千葉科学大学と倉敷芸術科学大学に危機管理学部が新設されているが、両校とも安倍晋三の親友である加計孝太郎が運営している。

 マックス・ウェーバーは、「国家とは域内において正当な物理的暴力行使の独占を要求する共同体」だと指摘した。言い換えれば、国家権力を担う者たちだけが国民に暴力をふるうことができるということだ。戦前は天皇の名の下に、国家権力に反対する者はかたっぱしから検挙され拷問を受けた。現代も、民主主義の名をかたりながら、上意下達で、下へ下へと命令が下りて来る。矛盾は末端の最弱者で精算される。森友・加計問題では、自殺者も出ている。安倍政権は警察・検察・裁判所・国税庁という表の暴力装置と暴力団という裏の暴力装置に守られている。

 こうした「上意下達」の暴力構造が、フラクタルに日本社会に充満していることがわかる。学校のいじめ問題も同じだ。神戸市垂水区で起こった市立中学女子生徒の自殺をめぐり、市教育委員会の首席指導主事が学校側に隠蔽を指示していたことが物議を呼んでいる。いじめは生徒同士だけの問題ではない。学校、教職員、教育委員会、保護者、すべての関係者がいじめの温床となっている。当然、教師の間にもいじめがあるだろう。いじめのターゲットとされた弱者は、暴力を振るわれ、孤立無援状態に陥る。周囲は見て見ぬふりだ。

 小池都知事は、児相の職員を増員するように指示を出したらしいが、イタリアで精神病院を廃止させたバザーリアのような利他的な英雄が出てこないかぎり、ウソで塗り固められた建前社会の日本の腐敗は深まるばかりで出口は見えない。今の日本社会にいったい何人の結愛ちゃんがいるのだろうか?


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  • 2019.02.13 Wednesday
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